奥多摩小屋の”いま”を考えてみよう。
今年の3月をもって閉鎖が噂されている東京都奥多摩町にある”奥多摩小屋”。その後、この件に関して、”東京都山岳連盟”が、意見書を環境省や都、奥多摩町に向けて提出したそうだ。
私も意見書に目を通したが、どうも上から目線の文章に思えた。あれを読んで、小屋を再建しようと思うだろうか。もっと、「必要だからこそ、建て直してほしい、お願いね」感を前面に出して欲しかった。
山の施設の利用者は、そこを使用する権利を有するものではない。あくまで行政の政策の結果造られた施設や民間運営の山小屋を支障のない範疇で利用させてもらっているだけだ。「使わせろ!」みたいなニュアンスは考え直してほしい。山も小屋も必ず誰かの所有物なのだ。また動物や植物の生きる場だ。そこへ「ちょっとお邪魔しますね。」の心配りが大切だと思う。
✳︎東京都山岳連盟の意見書はこちら
さて、本稿では、昨年末に奥多摩を訪れてみて知ったこと、感じたこと、気づいたことを綴っていこうと思う。
2017年12月中旬、新宿を経由して電車でJR奥多摩駅へ向かい、バスで鴨沢バス停へ降り立った。
2017年12月中旬、新宿を経由して電車でJR奥多摩駅へ向かい、バスで鴨沢バス停へ降り立った。
そう。これがいつも私が雲取山を訪れるときの始まり方なのだ。鴨沢登山口で、山梨県警の警察官に登山届を出すように促され、かゑるの店主と挨拶を交わしてから、階段を登って道を進む。
初日は、テントを張る奥多摩小屋を目指すが、まずは七ツ石小屋へ立ち寄りたい。昨年、赤坂で行われた七ツ石山展で知ったことを確認したかったからだ。そして、七ツ石山へ登ってみるつもりだった。
❇︎【events】七ツ石山展 赤坂 2017/07
七ツ石小屋も奥多摩小屋と同じく、素泊まりのみの小屋で、料金も同じ4,000円だ。テントが張れるという点でも同じだ。水場もある。週末は宿泊者で活気がある。奥多摩小屋との違いは小屋番さんとトイレだろうか。七ツ石小屋のトイレは、近年、新設されたバイオマストイレで清潔だ。奥多摩小屋のトイレは、男はともかく女性には厳しいだろう。ほぼ同条件の奥多摩小屋と七ツ石小屋で、差が出るのはこの点にあるのかもしれない。
❇︎【events】七ツ石山展 赤坂 2017/07
七ツ石小屋は、数年前に、山梨県丹波山村が”雲取お祭山荘”を運営されていた”雲取サスケ”さんから営業権を譲り受け、いまは若いご夫婦が小屋番を務めている。
そのせいか、勢いのある風が流れている。小屋番さんは、twitterをよく更新してくれる方々だ。おかげで赴く数日前から、山の状況を知ることができる。小屋周りもよく管理されている様子が伺える。大変ありがたいことだ。
七ツ石小屋も奥多摩小屋と同じく、素泊まりのみの小屋で、料金も同じ4,000円だ。テントが張れるという点でも同じだ。水場もある。週末は宿泊者で活気がある。奥多摩小屋との違いは小屋番さんとトイレだろうか。七ツ石小屋のトイレは、近年、新設されたバイオマストイレで清潔だ。奥多摩小屋のトイレは、男はともかく女性には厳しいだろう。ほぼ同条件の奥多摩小屋と七ツ石小屋で、差が出るのはこの点にあるのかもしれない。
七ツ石小屋で、一息つきながら、小屋番さんに奥多摩小屋の閉鎖について話題を振ってみた。すると、思うところがあるのか、悔しさが滲む言葉が口から出てきた。
奥多摩小屋のある場所は、東京都奥多摩町と山梨県丹波山村の境界線上なんだそうだ。あの石尾根から、雲取山へ向かって右側が奥多摩町で、左側が丹波山村らしい。
確かに、帰宅後に地図を改めて確認すると、石尾根沿いが境界線上のようだ。そこまで考えて歩いてなかったな。
そして、「奥多摩小屋」というくらいだから、奥多摩小屋は奥多摩町側にあるんのだが、テント場や水場は、正直、山梨県側まで伸びている気がする。
確かに、帰宅後に地図を改めて確認すると、石尾根沿いが境界線上のようだ。そこまで考えて歩いてなかったな。
よくよく、調べてみると、鴨沢西バス停も、すでに東京都ではなく山梨県丹波山村だった。いつも奥多摩駅からバスなので、てっきり奥多摩町だと思い込んでいた。
そして、「奥多摩小屋」というくらいだから、奥多摩小屋は奥多摩町側にあるんのだが、テント場や水場は、正直、山梨県側まで伸びている気がする。
また、この辺りは、奥秩父縦走路の末端をなす重要な通り道なのだ。それゆえ山梨県側の利害は強いのかもしれない。雲取山からの下山後に、”丹波山温泉のめこい湯”へ寄ったり、”道の駅たばやま”へ寄ったりと、山は丹波山村にとって重要な観光資源なのだ。
きっと、奥多摩町が奥多摩小屋の営業をやらないのなら丹波山村がやりたいくらいだろうが、事はそう簡単に進まない様子だった。
もし奥多摩小屋が無くなったら、雲取山へ登るハイカーの推移はどうなるだろうか。雲取山荘が有るから、そちらを利用する様になれば変わりないと思うのだろうか。いや、違うと思う。
思うに、奥多摩小屋のテント場が有るから雲取山に行く人は結構いると思う。その人たちが雲取山荘へ流れるかというとそうでもない気がする。そういう人達は、あくまで奥多摩小屋でのテント泊を目的のひとつにしてるいる。少なくとも私はそう考える。雲取山荘へ行きたいのではない。
そう考えると、もし、奥多摩小屋が無くなったら、雲取山への足は自然と遠のいてしまうだろう。
そうなれば、七ツ石小屋も少なからず影響を受けるかもしれない。
本来、休憩に立ち寄る人も減るのかもしれない。
本来、休憩に立ち寄る人も減るのかもしれない。
七ツ石小屋を後にし、奥多摩小屋へ向かう。
奥多摩小屋に着き、テント泊の受付をするために小屋へ伺ったが、小屋番さんの塩対応は、以前書いた通りだ。別にこちらはサービスを求めているわけではないので、それでも構わないんだけど、せめて小屋に宿泊する人には十分な対応を心がけて欲しい。
やがて、霧藻ヶ峰の休憩所へ寄らせて頂いた。
その際、管理人さんと少しお話しした。
私が奥多摩小屋が閉鎖することを口にすると、管理人さんの口も自然と言葉数が多くなった。もう、以前から話が聞こえてきているのだろう。何か色々言いたげではあったが、口にできないことも沢山有るようだ。ただ、やはり七ツ石小屋の方と同じく、「まだ決まっていない」を聞かされ続けている様子だった。ここの管理人さんとても良い方だった。話していて、奥多摩の歴史を振り返れる感じだった。
管理人さんとの話の中で、”新井信太郎”さんの名前が出てきた。新井信太郎さんとは、雲取山荘の経営者で前管理人さんだ。霧藻ヶ峰休憩所の管理人さんは、その新井さんがとても苦労し尽力されていたと仰られていた。その話や言葉を聞いて、新井信太郎さんという方は、山やさんの間で信頼の深い方なのだと感じとった。この霧藻ヶ峰休憩所も、かつて新井信太郎さんの母、新井フミさんが管理されていたようだ。
いろいろと情報が頭に入ってくるにつれて思うこと。
「正直、雲取山荘って必要?」という疑問が私の中には生じていた。奥多摩側から雲取山へ入る者にとって山頂より先の雲取山荘は利用し辛い立地にあると考えていたからだ。奥多摩小屋をしっかり運営すれば、小屋泊の人だっておそらく奥多摩小屋で宿泊するのがベストだろう。ましてやテント泊をする者は奥多摩小屋のテント場の眺望は最高だと思う。雲取山荘の存在が奥多摩小屋の再建の支障になっているのではないかと思った。
現在のように、雲取山荘が奥多摩小屋を管理することは、健全な競争が生まれない利益相反の関係にあるように思う。他に管理を任せられる相手が見つからない事情があるのかもしれないが、現状は好ましくないし、衰退していくだけだと思われる。
ただ、霧藻ヶ峰休憩所の管理人さんの口から”新井信太郎”さんをえらく褒め讃えていたことが印象深く、そんな人がやっていた山小屋とはどんな感じなのだろう?という興味が湧いてきた。
そこで、新井信太郎さんの書籍『雲取山に生きる』を読んでみた。正直、読んでみてとても面白かった。夜な夜な寝る前に読み進めた。出版はいまから約30年も前で、三峰山ロープウェイ?雲取ヒュッテ?鎌仙人?そんなの知らない世代の私が読んでも伝わってくる情景があった。
いまの雲取山荘は、平成11年10月に新築された建物で、書籍に登場する当時の雲取小屋とは異なるが、雲取山を代表する山小屋で人気だ。
しかし、いまの雲取山荘について聞こえてくるのは、新井信太郎時代と現在の相違だろう。良い評判も沢山見かけるが、良くない評判も目にする事がある。きっと、山小屋も山へ来る者も共に世代交代が進んでいるのだろう。
新井信太郎さんの書籍を読んでみて、雲取山荘の歴史を少し知ってみて分かったこと、それは雲取山のイメージの変化ではないだろうか。
書籍の中では、雲取山は奥秩父の山で、埼玉県側からの山だ。人も三峯神社や埼玉県在住者が中心的に登場している。きっと、この当時は雲取山は埼玉県の山だったんだろう。
しかし、現在では、雲取山は東京都奥多摩の山という認識が強く、JR奥多摩駅からの登山者が多勢を占める様になったのではないかと思う。
雲取山に限らず、近年の登山ブームで、奥多摩側の山、雲取山、鷹ノ巣山、御岳山、川苔山、などが都心在住者には非常にアクセスが良い環境になった。
近い将来、埼玉県側のルートは衰退していくかもしれない。それとともに雲取山荘も客足の減少が危惧される。そんなときに奥多摩小屋を再建されては、たまったものではないかもしれない。
三峰側を歩いてみて、朽ち果てていくかつての山小屋を何軒か目にした。少し前までは、人が起臥寝食に使っていた場所も、人の手から離れ荒れ果ててしまったらあっという間にボロボロになる。
三峰側を歩いてみて、朽ち果てていくかつての山小屋を何軒か目にした。少し前までは、人が起臥寝食に使っていた場所も、人の手から離れ荒れ果ててしまったらあっという間にボロボロになる。
いまの雲取山へのメインルートは、鴨沢登山口からの”鴨沢ルート”か、もしくは奥多摩駅前から始まる”石尾根縦走路”だろう。
公共交通機関を使う人はここ鴨沢登山口から。
車の人は、ちょっと上の丹波山村村営駐車場から歩き始めるだろう。この駐車場も昨年、綺麗に整備されたばかりだ。夏のピーク時には駐車場から溢れた車が、道路脇に路上駐車をし、困った問題も引き起こすほど。
丹波山村は、ここ数年に雲取山関連に力を入れているのが目に見える形で伝わってくる。
一方の奥多摩町は、人口の減少に悩む街だ。山と湖が観光資源であり、自然を楽しみにくる観光客は大勢いるだろう。その人達が減らないように策を講じるべきだ。
一方の奥多摩町は、人口の減少に悩む街だ。山と湖が観光資源であり、自然を楽しみにくる観光客は大勢いるだろう。その人達が減らないように策を講じるべきだ。
ハイカーが街にお金を落とす事は有るのだろうか。私は、下山後に駅前の酒屋へ寄ったりする事もあるし、もえぎの湯へも行く。
人が訪れれば街に活気が生まれるし、奥多摩地域への還元にもなる。山だけではなく、その地域を楽しむ事も私の楽しみの一つだ。
山梨県丹波山村もまちおこしに力を注いでいるように見える。数年前のクリスマスの日、七ツ石小屋でテント泊をしたあとの下山後、”のめこい湯”へ寄った。そのとき、クリスマスという事で景品が当たるくじ引きをさせてくれた。当たったのはタバスキーのキーホルダー。私はいつも上の写真に写っている電柱のタバスキー見ていたから、この景品がとても嬉しかったし、丹波山村をまた少し好きになった。小さな事だけど、人はそれくらいのことでも、記憶に留めるのである。
奥多摩町は、「何も決まっていない」という。
人が訪れれば街に活気が生まれるし、奥多摩地域への還元にもなる。山だけではなく、その地域を楽しむ事も私の楽しみの一つだ。
山梨県丹波山村もまちおこしに力を注いでいるように見える。数年前のクリスマスの日、七ツ石小屋でテント泊をしたあとの下山後、”のめこい湯”へ寄った。そのとき、クリスマスという事で景品が当たるくじ引きをさせてくれた。当たったのはタバスキーのキーホルダー。私はいつも上の写真に写っている電柱のタバスキー見ていたから、この景品がとても嬉しかったし、丹波山村をまた少し好きになった。小さな事だけど、人はそれくらいのことでも、記憶に留めるのである。
奥多摩町は、「何も決まっていない」という。
しかし、議事録を読む限り先は見えている。
風情のある小屋内、かつてここで交わされた酒がどれほどあるだろうか。昔の管理人さんもいまの奥多摩小屋をみたら嘆くだろう。
このビールがあるだけで、どれほど有難いことか。私は小屋が潤うように必ず購入するようにしている。ちょっと、体調の良いときは2本、いや3本と購入する。こんなことでしか貢献できないが、奥多摩小屋へ上がるときはビールを持参しない。
とりあえず、小屋前で”プシュー”と一口。
このときの味わいが堪らない。
きっと、分かってもらえる人は沢山いるだろう。
奥多摩小屋のテント場。
風情のある小屋内、かつてここで交わされた酒がどれほどあるだろうか。昔の管理人さんもいまの奥多摩小屋をみたら嘆くだろう。
とりあえず、小屋前で”プシュー”と一口。
このときの味わいが堪らない。
きっと、分かってもらえる人は沢山いるだろう。
奥多摩小屋のテント場。
都心の光が眩しくて、山の暗さが際立つ。
無くなるのは惜しい。
そんな折、昨年末に訪れた、神奈川県丹沢山系蛭ヶ岳でちょっとした発見があった。
蛭ケ岳の山頂には山小屋”蛭ヶ岳山荘”が建っている。
規模は、それほど大きくなく、宿泊定員も41名と小規模な山小屋だ。
その蛭ヶ岳山荘へ年末に泊まりに行った際、ふとしたものが目に飛び込んできた。
小屋番さんに少しお話を伺うと、どうやらこの蛭ヶ岳山荘も閉鎖の危機があり、再建されるかどうか怪しいときがあったらしく、そのときに有志の人が募金し小屋が再建されたそうだ。
その当時の様子が、北丹沢山岳センターが発行している『蛭ヶ岳山荘通信 第 70 号』の「蛭ヶ岳山荘の発足に寄せて 財団法人 神奈川県体育協会 松田幸雄」から読みとれる。
一部抜粋させて頂く。
「思えば新山荘の再建はまさにいばらのみちを歩んできました。山荘の所有者の神奈川県体育協会では旧山荘の老朽化に伴い平成7年度末で閉鎖の方針を打ち出したところ、直ちに大きな反響となってかえってきました。蛭ヶ岳山荘の重要な 役割が署名活動を通してまたマスコミ等を通して再認識されてくるなかで 体育協会で改めて検討した結果、再建することを決定しました。この決定 を踏まえ再建費用に充てる募金を呼びかけたところ、予想を越える個人の 方々から多額の募金ををいただくことができました。」
引用元:NPO北丹沢山岳センター発行 『蛭ヶ岳山荘通信 第 70 号』
これを目にしたとき、奥多摩小屋でも同じことが出来るのではないかと思えた。
”いま”ならまだ間に合う。奥多摩町
広く世間に知恵と資金を募った方がいいのではないでしょうか。
きっと、
答えてくれるハイカーは大勢いるはず。
みんな、奥多摩小屋が大好きです。
みんな、奥多摩小屋が大好きです。
コメント
コメント一覧 (4)
コメントありがとうございます。
「登山者さん」のされた体験は、なかなか酷いですね。
さぞ、嫌な思いをされたかと思います。心中お察しします。
小屋番さんに悪気があったかどうかはわかりませんが、相手が嫌な気持ちになることが想像できることはすべきではないですよね。
「たまたま私が寄った数回がそういうタイミングだったのかもしれませんが」
この一文について、私は、思います。
山や自然の魅力と同じように記憶や体験もその一瞬一瞬が大事だと。
生きることは一瞬一瞬の積み重ねなんだということ。
「たまたま」「そういうタイミング」だったかもしれませんが、
登山者さんにとってはそのときしか在りませんよね。
時間に不可逆性はありありませんからやり直せない。
その小屋番さんの怠慢な態度は、言い訳ならないものです。
過大な要求を求めているわけではなく、人と人とのかかわり合いの中で、お互いが気持ちよく過ごせるための気遣いだけは最低限してほしいですよね。
それは、商売とかではなく人同士のコミュニケーションなんだと思います。
山をはじめてから、私はそんな人との関わり合い方を再認識しました。
奥多摩小屋については、なんとか、適正な経営と運用がなされる形で再建ができないもかと私も思います。奥多摩町も含めて活性化を模索してほしいです。
次世帯の若人たちに、あの奥多摩小屋のロケーションでテント泊させてあげたいですね。昨今の登山部関連の事故等で、教育関係の方はご苦労されているかと思いますが、安全に気をつけて山を楽しんでください。
以前、八ヶ岳で、女子校の登山部の横にテントを張る機会がありました。
引率の先生と生徒のやり取りの声が溢れてくるんですが、ホウレンソウに厳しいんですね。いつ御飯を食べ始めたのか報告が無いと先生がご立派されていました。笑
また、教育機関で山岳部を指導する立場にもあります。
雲取山はこれまでに何度も登りました。
登山歴の少ない人を連れていくにも良く、好きな山の一つです。
ただ、正直なところ奥多摩小屋にはいいイメージが無く、
嫌な思いをしたくないので近年はあえてスル―をしていました。
もう7、8年は前になりますが、
雨に降られて小屋に立ち寄った際、小屋に入るな否や
「上に上がったらなんか注文させるからな!」と怒鳴られたことがありました。
別の年で残雪期に立ち寄った際には、人づきあいが難しそうな若い子に、
これまた入るな否や「今何もできないので上には上がらないで。」と言われてしまい、
その彼は奥で暖房に当たっているようでしたが
我々は冷えた土間で何もせずに出ていくことになり・・・。
私はどこの山でも小屋に入れば必ず何か買わせて頂くことに決めており、
小屋の方々と話をするのも楽しみの一つにしているのですが、
正直、客に対してこんな態度では潰れても仕方がないかなと思いました。
通い慣れた方にとって、実情はそうでは無いかもしれません。
たまたま私が寄った数回がそういうタイミングだったのかもしれませんが、
他のどこの僻地の山小屋でもそんな経験をしたことはありませんでした。
山小屋に対して必要以上のホスピタリティーを求めるつもりはありませんが、
豊かな自然と共に「また来たい」と思いたいものです。
奥多摩小屋は要所にあり、安全面においても小屋があると非常に助かるので
できれば何らかの形で復活してほしいと思います。
より健全で、雲取山が誰にとってもまた来たい山になってくれることを願っています。
コメント有難うございます。
そうですよね。奥多摩町民の方は、税金を投入してまで再建する必要があるのか疑問に思いますよね。ごもっともなご意見だと思います。
ですが、やはり奥多摩小屋の立地上、あそこに管理された小屋があることは安全上も、そして観光資源としても望ましいと思いますし、必要だと思います。
ただ、多額の予算が必要になる事柄ですから、その資金を捻出することが可能かどうか、計画を実行できるだけの許容性があるかどうかをしっかりと考えなければいけませんよね。
この点、奥多摩町単独では、議会のやり取りからすると、もはや再建するだけの資金を捻出するのは無理ではないかと思っています。仮に再建するとしても東京都なり国なりからの補助金が必要になるのではないでしょうか。
私は、税の投入に合わせて募金やクラウドファンディング、ふるさと納税制度など、税以外からの資金投入の方法を模索することを考えて欲しいと思っています。なるべく利用者負担の原則に合致するように。
また、運営もスポンサーを募ったり、ボランティアを募ったりしてみることも運営費を抑える方法として一考してみてはどうかなと思います。
一方にだけ負担を強いるのではなく、
奥多摩町に住む人も、山を歩く人も、共にメリットがある方法を是非考えて欲しいと思います。奥多摩町の村役場も人が少ないでしょうから、もっと外部に意見を求めてみて欲しいです。閉鎖すると公表する前に、とりあえずパブリックコメントを募集すればいいのにと思います。
あと、都岳連は、財団法人ですから当該団体に非加入の他人を指導する立場にないように思います。いまは、団体に属さない個人での山登りが主流になってるので、業界団体の指導に効果があるかどうかは懐疑的です。
奥多摩町に住む1住民としてコメントを書かせていだたきますが、
再建する場合、莫大な費用がかかる可能性が高いとして、住民サービスより優先して再建が必要なのか問題になると思います。
登山をする方にとって奥多摩小屋テント場は立地として好条件なのかも知れませんが、大量の税金を投じて再建しても費用対効果がどれほどあるのか疑問を持ちます。
都岳連の要望書に緊急避難先として重要だから再建を求めるというのも、無理な行程を組む初心者に連盟が登山口や駅前で無理のない登山行程の普及啓発を行うなど自分たちで出来る事をしてから要望するべきだと思います。