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空白が訪れて、そして、忘れてしまっていたことに気付いた気がする。
それは、あの子が最期に教えてくれた、私にとって何よりも大切な事なのかもしれない。


※このコラムは、少し長文になります。
また、山の話題でもありません。



・愛犬の旅立ち

先日、実家で暮らしていた愛犬が14年11ヶ月の日々を終えて天国へと旅立った。あの子は、ウェルッシュ・コーギー・ペンプローグの女の子。

私の実家には孫がいないので、私の両親にとっては孫のように可愛い存在であった。うちの愛犬は、朝、6時に定年を迎えた父親と散歩へ出かける毎日。日中は母親にペッタリとくっついて過ごし、夕方にまた父親と散歩へいき、夜、母親の布団の隣で一緒に寝ていた。ほんとうに家族の一員だったし、あの子の明るい性格にたくさん癒された。

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(我が家へ迎えたときの写真)

そんな愛犬に異変が見られ始めたのは、10歳を過ぎた頃だろうか。足を引きずる様になりはじめた。動物病院へ連れていって診てもらうと、どうやら「DM」という神経麻痺の難病ではないかという。その病気は、進行が進むにつれ全身に麻痺が広がり、やがては呼吸困難になりその命を終える。そのときまでは約3年ほどだろうという事だった。

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それから、日々、進んでいく麻痺だったが、父親も母親も共にいままでと変わらず、あの子に愛情を注いだ。動かなくなった足の代わりに補助具を用意してやったり。動けなくなってからはベビーカーのようなキャリーに乗せて毎朝晩に散歩へ連れていったり。最後まで変わらない日々だった。

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先週、朝6時ごろに母親からの電話が鳴る。
「愛犬が苦しそうで調子が悪い、車で動物病院へ連れて行って欲しい。」という。その日は体調を回復したが、その数日後にも同様の電話が鳴る。
気になり、あの子を動物病院に連れて行こうと三連休の最終日に実家へ帰る準備をしているとまた電話が鳴る。「何時ごろに来る?体調が悪いのでペットタクシーで先に動物病院へいく」という。

私は、都心から電車に乗り、約1時間かけて実家へ向かい、実家の車を出して動物病院へ駆けつけた。

動物病院へ着き姉に電話をかけると、

「いま下へ降りる」

あの子を抱えた姉と母親が動物病院から出てきた。
私は「さぁ、お家に帰ろうね」と愛犬へ声をかけた。目がたらんと開いており、「あれ、なんか調子悪そうだね。」と2人に声を掛けた。
そう。もうあの子は旅立っていた。私が動物病院へ向かっているときに最期を迎えた。涙ぐむ母と姉、そして愛犬のを乗せて実家へと車を走らせた。

・愛犬が旅立ち、訪れたのは虚無感

実家に家族でいるうちは、なんだかんだで明るく談笑したりしていた。いつも愛犬が寝ていた場所に愛犬を寝かせて、その姿を見ながら昔話などをしていたり。
その日の夜のうちに葬儀の手配をして、翌日、愛犬を天国へ身体も送り出してあげた。そして、また実家へ遺骨と共に帰ってきた。
その日の夜に、私は都内の自分の家へ戻った。家についても何かをする気にはなれなかった。なにか空白を感じ虚無感に襲われる。懐かしい愛犬の昔の写真を整理したりしていると、尚更に思い出の重さを実感する。愛犬とともに写る人や物、場所など、様々な想い出を思い出す時間が続く。その時を通じて愛犬と過ごした約15年の日々で私が何を得て、何を失っていたかを回想することになった。

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・家族と過ごす時間

私は、実家を離れてかれこれ15年ほどになる。それほど遠い場所ではないものの、実家へ帰るのは年に何回かしかなかった。日々、自分自身の思いのまま人生を過ごす日々。自分がやりたい事をやる日々。
愛犬が旅立ち、その日々を写真を整理しながら振り返えったら、最後の数年は実家へ全然帰っていなかったことに気づいた。一時期から最近の写真がないからだ。
人生は、将来へ進むだけの片道のため、進んできた道を見返す事はそう多くはないだろう。いつも前を見て歩くことに夢中になっている。

愛犬との15年を振り返り、両親の時間の経過を実感した。そう。私は家族と過ごす時間を失っていたのかも知らないと思った。特に両親はほったらかしにしているかもしれないと感じた。もう80歳を迎えている。

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・私の人生で何が大事なのかを知る

そんな思いをしながら、ふとした考えが頭の中に降りてきた。
「いまの場所にいる必要があるのか。いまの仕事に拘る理由はあるのか。それはいましか出来ないのか。」

私は気づいた。
いままで、自分が「幸せ」と信じていたことが、実はそうではなかったのではないかと疑いを持った。
これまで、ずっと、自分のやりたいことをやり、住みたい街に住み、より多くの人と出会い関係を広げていくことに努めて生きてた。それが正しい生き方なんだと思ってきた。
いまやるべきことがあるのではないか。いましか出来ないことがあるのではないか。自分の選択次第だが、人生で何に重きを置くかの価値観を見直すべきときなのではないか。

私の中で答えが出た。

いまの生活は、いましなくてもいい。
それよりも他にするべき事があるなぁと。

それを実現する事が可能なのかも考えた。

その道を進んでみて、また、その先で振り返って考えることがあるだろうから。

幸いなことは、いまの生活を変えたとしても、きっと後悔はしない環境だろうということだ。無いことの裏返しは、なにかを代わりに得ることが出来ること。

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・身近な友の暮らしが、実は理想の暮らしなのではないか。

そして、私の1番の親友の生活を思い、それがいまの私の中では最も「幸せ」な生き方なのかもしれないないと感じた。彼は、高校卒業後に地元の企業に就職して、地元から離れずに暮らしている。昔からの仲間と酒を交わし、地元近くの女性と結婚をし、実家から少し離れた場所に家を建て、2人の子供と共に暮らしている。彼や奥さんの実家へは、さほど時間を要せずに帰れる距離だ。地に足のついた生活だ。

私の生き方とは真反対の生き方だと感じた。
東京で暮らし、時代の先端を生き、社会的地位を得て、生きていくことを望んでしなさいきた自分。人との出逢いも多く、古い友人との人付き合いもどんどん疎遠になる。
果たして、それが「自分」にとって「大切」なのか、問うてみると、確かに大切だけれども、それ以上に大切なことがあると考えるようになった。

よくある、地方から出てきた人が地元へ帰る回想シーンの様な心境は、これなんだなぁと思う。ずっと、彼の様な最活スタイルには物足りなさを感じでいたけれども、その感覚は自分の浅さからのものでなかったのかといまは思う。

地元に戻って生活を変えると、多分、いまよりも山へ行けるし、キャンプなんかも楽しめるかもしれない。

今年は、人生を見直してみようと思う。
愛犬が旅立ち、最期に教えてくれた大切なこと。

とても大切なことに気付かせてくれた愛犬に感謝
天国で沢山走り回っているといいなぁ。

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・写真を撮ることの意味

愛犬の旅立ちをきっかけに、過去20年分の写真を見返した。愛犬の表情や家族の姿を目にして微笑ましく思う時間が続くとともに、時の経過をすごく感じた。
ここ最近の私の写真は、日々の生活の中で望んで風景を撮ったり、人に見せる作風のものばかり、のちに見て微笑ましく思うものは少ない。どんなカメラ、どんなレンズを使うかなんてどうだって良いことに気づいた。想い出を閉じ込めることが出来るものであれば大した問題ではないんじゃないかと思う。

ここまでお読みいただきありがとうございました。